30代の新人看護師が受けた病棟の洗礼 臨床経験1年でスピード転職できた理由とは?

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臨床経験1年でスピード転職した看護師インタビュー

シリーズ「私らしくはたらく 看護師ストーリー」では、様々なキャリアを歩む看護師にインタビュー。自分らしいはたらき方の実現に至るまでの道のりや転機などを深掘りしていきます。

インタビューさせていただいたのは、社会人経験を経て離婚を機に30代で看護師になったAさん。Part2では、新人看護師時代からはじめての転職、乳がん治療を続けながらの病棟勤務時代について伺いました。

part1はこちら

「理想の看護師像」を作った出産時の一言

― 学生時代から理想の看護師像はありましたか?

ありました。長男を出産した時に出会ったある看護師さんとのやりとりが、私の「理想の看護師像」を作り上げるきっかけとなりました。

破水で入院し、陣痛促進剤を使って陣痛が始まったのですが、点滴を止めると陣痛も止まってしまう状態でした。

医師からは「帝王切開にするか、翌日もう一度経膣分娩を試みるか」の説明がありましたが、話し合いの場では心配性の父だけが医師と話し、帝王切開に決定。出産まで入院した経験もなかったので不安や緊張もあり、陣痛で疲れ切っていた私は、その話し合いをただ聞いているだけで意見を言えずにいました。

家族が退室し、手術前の処置を受けていた時、看護師さんがこう声をかけてくれました。

「本当に帝王切開でいいの?後悔のないお産をしてほしい」

その一言で、「やっぱり経膣分娩で産みたい」という自分の本当の気持ちに気づくことができました。

翌日、もう一度陣痛促進剤を使っての分娩に挑戦しましたが、結果として子宮口は3cmしか開かず、胎児への感染リスクもあることから、最終的には帝王切開での出産に。それでも、自分の意見を伝えられたことで私にとって「後悔のないお産」になりました。

この経験を通して、患者さん本人の意思を尊重し、その意思決定を支援できる看護師になりたいと考えるようになりました。

― 看護師さんが本音を引き出してくれたのですね。その後、その看護師さんとの関わりはあったのですか?

それきりお会いすることはありませんでした。看護師さんは、私が本心を言葉にできていないことを感じ取り、声をかけてくださったのだと思います。

あの声かけがあったことで、私は「やっぱり経膣分娩で産みたい」という本心を、看護師さんを通じて医師に伝えることができました。

看護師の役割の1つである患者の代弁者(アドボケーター)の重要性を身をもって感じ、今も私の心に残っています。

― 学生時代から、入職したい病院や配属先の希望は明確にありましたか?

はい、当初は自宅から近い場所にある総合病院への就職を希望していました。通勤の利便性はもちろんですが、規模の大きい病院でしっかりと経験を積みたいという思いがあったからです。

将来的に幅広い場面で対応できる、オールラウンドな看護師を目指していたので、診療科についても内科や消化器外科などのメジャーな科を志望していました。

ただ、看護学校の先生から第一志望の病院について、「勉強会や研修が多く、子育て中のあなたには大変かもしれない」と心配されて…。代わりに、実習でもお世話になったもう少し規模の小さい病院を勧められました。実習を通して院内の雰囲気やスタッフの様子を知っていたこともあり、最終的にはその病院の整形外科に入職しました。

急性期病院での学び 新人時代に大切にしていたこと

― 最初に入職した病院時代について教えてください。

最初に勤務したのは、病床数99床の急性期病院でした。配属先は整形外科と消化器外科の混合病棟です。

整形外科では、主に変形性股関節症や変形性膝関節症の患者さんが多く、これらに対する人工関節置換術(THA、TKAなど)が主に行われていました。

消化器外科では、急性虫垂炎の患者さんを受け入れ、緊急の虫垂切除術を行うことがありました。 手術が多く、術前・術後の管理が重要な業務でした。術前には、患者さんの全身状態の評価や手術に向けた準備を行い、術後には、痛みの管理、創部の観察、感染予防、早期離床の支援などを行いました。

急性期病棟は患者さんの重症度が高く、医療処置やケアの頻度も多いため、新人の私は大変な環境でした。 しかし、その中で急性期や周手術期に関われたことは看護師として良い経験になり、現在の看護実践にも大いに活かされています。

― 当時一番力を入れていたことは?

当時力を入れていたことは、二つあります。「勉強し続けること」と「患者さん一人一人に丁寧に関わること」です。

新人の私は、何もかもが初めてで毎日必死でした。少しでも早く一人で仕事ができるようになることを目標に、毎日予習や復習、振り返りなどに精一杯取り組んでいました。

でも正直、頭の中はぐちゃぐちゃで、情報が入り切らずパンク寸前。自分一人で完結できない業務に追われ、プレッシャーや焦りでいっぱいでした。

そんな中でも、「新人の私にしかできない看護がある」と思い、患者さんには常に丁寧に接することを大切にしていました。技術や知識ではまだまだ先輩にはかなわないけれど、「丁寧に関わること」は今の私にできることだと信じていたからです。

その姿勢が伝わったのか、「Aさんの看護が一番良かった」と言ってくださった患者さんもいて、本当に救われた気持ちになりました。あの言葉は、今でも私の心に残っています。

― 学生時代とギャップを感じた部分はありましたか。

学生時代には感じなかった「時間の制約」や「優先順位をつける難しさ」を実感し、特に最初はそのギャップに戸惑いました。

学生時代の実習では、患者さん一人一人を担当しじっくり関わることができましたが、実際の現場では、何人もの患者さんを受け持つため、時間に追われる毎日でした。丁寧に対応したいと思っても、患者さん一人一人に充分な時間を割けず、理想とする看護を実践することは難しかったです。

看護学生の時は、安全で配慮された環境のなかで、比較的安心して実習に取り組めていましたが、いざ現場に出てみると、注射などの侵襲的な処置を自ら行い、自分の観察や判断一つで患者さんの状態が左右されることを実感しました。命を預かる重みと責任の大きさに、怖ささえ感じたのを覚えています。先輩から「あなたは国家資格を持っているのよ」と言われるたびに、その意味を少しずつ理解していきました。

1年でスピード退職 転職を成功させた入念な準備

― 最初の病院は1年で退職されています。退職を決めた理由を教えてください。

全力で頑張ってきましたが、1年が経とうとする前に、「このままでは夜勤には入らせることができない」と師長から告げられました。その病院では1年目は日勤のみ、2年目から夜勤に入ることになっていて、私も「夜勤に入って24時間患者さんの状態を看られるようになったら看護師として一人前だ」と考えていたんです。

「2年目からあなたのサポートは難しくなってくる」とも言われ、さらに精神的にプレッシャーを感じることが多くなりました。

当時、病棟で新人は私だけ。どこもそうかもしれませんが、新人への風当たりが強く、がむしゃらに頑張り続ける日々でした。

当時、看護学校時代の友人に「物品庫で物品の場所を教えてもらえない」とこぼしたことがあったのですが、「私のところではありえないよ」と言われたのを覚えています。「病院によって全然違うんだ」と驚きましたね(笑)。

― 自分がそう教育されてきたから下の代にもそうする、という流れなのでしょうか…。年次の近い先輩はいなかったのですか?

5年目~ベテランの方が多く、2年~3年目の方は少なかったです。「自分でできることは自分でやって」という雰囲気があり、わからないことも聞けないし、雰囲気に馴染むことができませんでした。

― 励ましてくれる方や相談できる方はいなかったですか。

励ましてくれる先輩もいましたが、それより厳しい先輩の方が多かったですね…。

自分の成長も実感できず、精神的にも限界でした。「このままここにいても、自分らしく働けない」と感じ、「新しい環境で自分の力を試したい、もう一度前向きに頑張りたい」という気持ちが強くなり、転職を決意しました。

改めて自分のキャリアと向き合い、転職先には教育体制の充実した病院の地域包括ケア病棟を選びました。

― 決断が早いですね。転職活動はどのように進められたのですか?

転職活動は、転職エージェントを利用し担当者さんに相談する形で始めました。担当者さんから自分の希望やキャリアに合った求人を提案してもらい、情報収集を進めました。

志望した病院には看護学生時代の友人が勤務していたので、職場環境や雰囲気をある程度把握していました。担当者さんから聞く病院の看護部長の人柄も印象が良く、友人の話とあわせて決め手となり、安心して転職を決めることができました。

― 転職活動は働きながら?

9年前のことなので、正確には覚えていないのですが、仕事を続けながら転職活動をしていたと思います。退職前に転職活動を始めた理由としては、看護師の求人は多いとはいえ、私は臨床経験も1年と短く、実際に内定をもらうまでは本当に採用されるか分からないという不安があり、仕事を失うことが怖かったからです。

― 転職する際に最も重視していたことを教えてください。

転職時に最も重視していたことは、長く勤務できる職場かどうかでした。最初の病院を1年で退職したこともあり、一つの職場で経験を積み、看護師としての土台を築き、自信を持って働けるようになりたいと考えていたからです。

また、1つめの病院は急性期特有の忙しさもあり、教育が十分ではなかったと感じていたため、次の職場では教育体制を重視しました。実際に、入職してからは新人として教育していただきたいと自分から積極的に依頼しました。

― 前職での経験や失敗を活かして、明確な軸を持って転職活動をされたのですね。面接対策など、準備はどんなことを行いましたか?

面接では、前職を1年で退職した理由を質問されると考えたため、事前に前向きな説明ができるよう準備しました。そして、入職後どのように貢献したいかという意欲も具体的に伝えるようにしました。

採用担当者の早期退職に対する懸念を払拭し、長期的に働き続ける意思があることをアピールできたのではないかと思います。

転職して念願の夜勤デビュー しかし乳がんが発覚し…

― 転職するにあたって、不安なことはありましたか。

不安はありましたね。1つめの病院は1年で退職という形になってしまったため、次の病院でも同じようなことにならないか。今度こそ、3年は勤めて経験を積みたいと考えていました。さらに、前職で経験できなかった夜勤に入れるのか、そもそも夜勤を任せてもらえるのか、看護師として認めてもらえるのかどうかも不安でした。

― 2つめの病院には、約4年間勤務されています。有言実行ですね。

そうですね。2つめの病院には比較的長く勤めることができました。その理由を振り返ると、1つめの病院との環境の違いが大きかったと感じています。

1つめの病院は、右も左もわからない中、オペ出しやオペ迎えに追われ、患者の出入りも多く、常に慌ただしい環境でした。

さらに、私は37歳の新人看護師でしたから、プリセプターも年下。プリセプターは20代の方で、経験が浅く、お互いに大変な状況だったと思います。年齢差はもちろん、気持ちの面でも距離を感じることが多かったですね。

一方、2つめの病院では、経験豊富な年上の看護師がプリセプターとして指導してくれました。安心して学べる環境が整っていたので、分からないことや不安なことも気軽に相談できました。

私の年齢や経験に関係なく、温かく受け入れてくれる雰囲気があり、とても心強かったです。

さらに、夜勤への移行も一律ではなく、個人の成長スピードや能力に応じて柔軟に対応してくれたことも、大きなポイントでした。無理なく段階を踏んで経験を積ませてもらえたことが、長く働けた理由の一つだと感じています。

― 念願だった夜勤にも入ることができたのですね。

はい。地域包括ケア病棟から療養病棟に異動があり、そちらで夜勤を経験しました。夜勤に入るようになってから半年ほどで病気が見つかり、夜勤には入れなくなってしまったのですが…。

― 差し支えなければ、ご病気についても教えてください。

6年前に乳がんと診断されました。乳がんの場合、10年は経過観察をする必要があるため、現在も治療を続けています。

― 病気に気づいたきっかけは何だったのでしょうか?

同年代の同僚が乳がんと診断されたことをきっかけに、私も検診の予約を取りました。ところが、検診日を待つ間にしこりに気づき、急いで受診することに。

結果的に、その同僚のおかげで早期に異変に気づき、発見へとつながりました。彼女の存在が、私自身の命を守ってくれたのだと心から感謝しています。

病気がわかってからは体調を考慮し、夜勤は避けて日勤のみで勤務を続けました。短い期間でしたが夜勤も経験することができ、病棟看護師として目標としていたところまで成長できたと思います。

>>Part3では、病棟から訪問看護への移った現在の働き方や、今の悩み、今後の展望について伺います。

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