離婚を経て30代で看護師に「子供との時間は取り戻せない」後悔から学んだ “私らしいはたらき方”

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シングルマザーで看護師になった女性のインタビュー

看護師になってからが、キャリアの始まり。

「何を大切にして、何のために、どこではたらくのか」

答えは、働く看護師の数だけあります。

シリーズ「私らしくはたらく 看護師ストーリー」では、様々なキャリアを歩む看護師にインタビュー。自分らしいはたらき方の実現に至るまでの道のりや転機などを深掘りしていきます。

今回インタビューさせていただいたのは、社会人経験を経て離婚を機に30代で看護師になったAさんです。

Aさんプロフィール

  • 34歳 離婚を機に看護学校へ (子供2人 5歳と2歳)
  • 37歳 看護師免許取得
  • 37歳 急性期病院(整形外科)に入職
  • 38歳 地域包括ケア病棟に転職。のちに療養病棟に異動
  • 乳がんが発覚。治療と並行し体調を考慮しながら仕事を継続
  • 43歳 訪問看護ステーションに転職
  • 47歳 いくつかの事業所を経験し、現在は施設内訪問看護に勤務中

離婚を機に看護師の道へ

― 早速ですが、看護師を目指したきっかけから教えてください。

34歳の時に離婚し、二人の子供を育てるために「一人で生きていく力」が必要だと感じたことから看護師を目指しました。結婚前は事務員をしていたのですが、離婚が現実味を帯びてきた時、真っ先に考えたのは経済的な自立です。二人の子供はまだ小学校に上がる前。まだまだお金もかかりますし、今後シングルマザーとして自分と子供の生活を支えるためには何か資格が必要だと考え、思い浮かんだのが看護師でした。

― 資格職という点では、他にも選択肢はあったと思います。なかでも看護師を選んだのは理由があったのでしょうか?

高齢化社会が進む中で看護師の需要は年々高まっており、今だけでなく将来的にも「仕事がなくなる心配が少ない」という点に大きな魅力を感じました。

看護師免許の取得方法について調べたところ、国試の合格率は例年90%前後と決して低くないことを知り、「3年間専門学校に通ってちゃんと勉強すれば、難易度は高くないのかも」と思えたことも後押しになりました。

― 実際に志す前は、“看護師”という職業にどんなイメージを持っていましたか?

正直に言うと、「医師のサポートをする人」というイメージしか持っていませんでした。体温を測って報告し、医師の指示で注射や処置をする。そんな補助的な役割だと思っていました。

しかし、看護学校での授業を通して、その認識は間違っていたことに気づきました。患者さんの年齢、性別、バイタルサイン、症状など、限られた情報から疾患や状態を自分でアセスメントし、どんな看護が必要かを考え、行動することが求められます。

「医師が常にそばにいるわけではない」ということも知りませんでした。患者さんの一番近くに寄り添うのは看護師であり、変化にいち早く気づき、時には医師が来る前に判断して対応しなければならない。その判断と行動が患者さんの命を左右する可能性もある、責任の大きい仕事です。

看護師とは、ただの補助ではなく、専門的な知識をもって患者さんの命を守る存在なのだと、目指してから初めて知りました。

子育てとの両立は「まさに背水の陣」

― そうして、看護学校へ。お子さんを育てながらの看護学生生活は、目まぐるしい日々だったのではないでしょうか。

子育てと勉強の両立は本当に大変でした。当時34歳、子供が5歳と2歳の時に3年制の看護専門学校に入学しました。若い頃とは違い、記憶力の衰えを感じていたので、授業についていけるのか、常に不安を抱えていました。成績は良かったのですが、どれだけ勉強しても、「絶対に単位を落とせない」「国家試験に失敗できない」と常にプレッシャーを感じていましたね。

― 同居されていたご両親の理解やサポートが必要な場面もあったのではないかと思います。

はい。両親には、子育てや家事など多くの面で支えてもらっていました。子育てにおいては、寝かしつけや入浴以外のほとんどを任せる形になっており、幼稚園の送迎や日常の世話まで…。家事も同様に、大部分を担ってもらっていたと思います。

両親が子供の面倒を見てくれていたおかげでなんとか通えていましたが、その分「ここで失敗したら申し訳ない」という気持ちが強く、まさに背水の陣の気持ちで学生生活を送っていました。

両親の支えがなければ、看護学校に通い続けることは難しかったと感じています。今振り返っても、感謝の気持ちでいっぱいです。

子供は成長しましたが、それでもなお、両親には日々支えてもらっており、その存在の大きさを改めて感じています。

―当時のことで特に印象に残っている出来事はありますか?

子供はまだ寝かしつけが必要な年齢だったため、夜は21時に子供と一緒に寝て、深夜3時に起きて勉強する生活でした。試験や実習前には、0時に起きて机に向かうこともありました。看護学校では出席も厳しく、実技・試験・実習はどれも欠かせません。そのため、子供の幼稚園での誕生日会に出席できず、代わりに出席してくれた私の母から「ママが来なくて泣いていたよ」と聞いた時は、本当に胸が締め付けられる思いでした。

― 言葉の端々から、強い覚悟が感じられます。ハードな日々を乗り越えるモチベーションはどこから来ていたのですか?

子供たちには我慢させてしまいましたし、大変ではあったのですが、離婚に伴う怒りや悲しみといった負のエネルギーを勉強に全力投球できたことは、私にとって大きな救いでもありました。夢中で勉強に打ち込むことで精神的に安定し、勉強が心の支えにもなっていたのだと思います。

― お母さんが学生でもあり、常に家で勉強を頑張っている姿を見てきた、という方はきっと多くないですよね。お子さんが何かポジティブな影響を受けている様子はありますか?

どうでしょう。学校を卒業してからもケアマネジャーの資格や学位を取得したりして、学び続ける姿勢は見せているつもりなのですが、あまり響いていないようです(笑)。

今、長男は浪人中で、来年志望している大学に合格できるかどうかが最近の一番の心配事です。一方、長女は成績が思うように伸びず、今は一緒に勉強しているところです。

子供に関する悩みは尽きませんが、こうしてそばで成長を見守る時間を作るために、頑張ってきたんだ、と思いますね。

― 同じように子育てをしながら看護師を目指している方、今働いている方も多いと思います。「これだけは忘れないで!」など、アドバイスがあれば教えてください。

先ほどお話した誕生日会に行けなかったというエピソードも、私が後悔しているだけで本人はもう覚えていないかもしれません。

ですが、子供との時間は後から取り戻せるものではありません。今この瞬間も、日々成長していて、時間は止まることなく進み続けています。

看護師として働き始めた最初の5年間は、看護師として一人前になることで精一杯。生活のためとはいえ、子供との時間は二の次になっていました。土日祝の休みが月に2〜3日しかないこともあり、家族との時間を犠牲にしていたことを今となっては後悔しています。

転職も数回経験しましたが、当時は自分が働くうえで譲れない条件が整理できておらず、失敗もしました。「子供との時間を最優先に確保できる」ことが私にとっての絶対条件。今は訪問看護に転職し、時間的にも精神的にも余裕を持って働くことができています。

子供との時間は、心の安定や勉強・進路にも影響する大切なものです。私は気づくのが遅くなってしまいましたが、家族との時間を軸に考えることが将来の子供にとっても、自分にとっても大切だとお伝えしたいです。

>>Part2では、新人看護師時代からはじめての転職について深掘りしていきます。

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